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『思ってたのと違う』

■もともと僕は音楽に興味はありませんでした。

中学二年生の時に仲良かった
友達『U』君がいて

そして僕が一方的に
好きだった女の子『K』ちゃんがいて

※浅野温子をショートカットにした感じ
伝わりにくい…。

『U』君が急に「バンドやろうぜ!」
(そんな雑誌があった)

と言いだしたんです。
『K』ちゃん「私もやりたーい!」

音楽に全く興味もないし
ギターとベースの区別も知らない僕も

その状況でバンドをやらないという
選択肢はありませんでした。

『U』君「俺はギターでakiはベースな。」
『aki』「ベースってどんな楽器?」

『U』君「ギターみたいなやつ。」

ということでお年玉を握りしめて

高槻『グリーンプラザ』の『ロックイン』という
楽器屋さんで試奏もせずに初心者セットを購入。

そしてみんなで音出し

『ベース』「ボンボンボン…。」
『aki』「思ってたのとちがう…。ギターと変えて!」

『U』君「もう無理。」
『K』ちゃん「私ベースの音好きやで。」

こんなやり取りで自分の将来の仕事が決まるとは
夢にも思いませんでした。

『バンド期』

■専門学校を卒業してからも
もちろんプロを目指して音楽活動の日々

バイトと音楽に明け暮れていました。

そしてバイトのシフトは平日を休みにして
必ず毎週そのスパイスカリーのお店に通いました。

高槻から四ツ橋のそのお店まで
往復二時間以上の道のりを毎週必ず。

今思えば、そのころから音楽とスパイスカリー
という人生の二本柱が決まっていたのだと思います。

ただ、バンドは結成と解散を繰り返し
カリーも作っては平凡な仕上がりで

大きな進展は無い時期に入っていました。

あのカリーを家でも食べたい!
どうしても作りたい!

でもまだそのカリーでお店を出そうとは
思うはずもなく

バンドでメジャーデビューするんだと
それだけを考えて人生を進んでいました。

『メタリカ』『メガデス』『パンテラ』
『アイアンメイデン』『ジューダスプリースト』

『スリップノット』『コーン』

『モトリークルー』『レニークラビッツ』
『X』『ラウドネス』『ラルクアンシエル』etc

カリーのような刺激的な音楽を好んでいたのも
この頃でした。

『カリーへの道のり』

■音楽にもカリーにものめり込んでいった
学生時代。

カッコいい演奏をしたい
素晴らしい曲を書きたい

毎日毎日
スタジオ練習に曲作りに勤しんだ頃

それと同時に美味しいカリーが作りたいと
色々試してもみた。

鶏ガラで出汁をとってみたり
水ではなくて野菜ジュースを使ってみたり

でも最終的には市販のルーを入れるという
オーソドックスな仕上がり

目指すスパイスカリーには似ても似つかぬ
お粗末なものでした。

今であれば本もネットも存在しますが
当時の僕には何の手がかりもありません。

しかしこの様な作業を繰り返しているのは
僕だけではありませんでした。

その学校に通っている同級生や先輩
恩師までもが皆同じように

挑んでは失敗の繰り返しだったのです。
皆スパイスカリーの虜でした。

『唯一無二』

■僕たちはプロミュージシャンを目指していた。

当時は『X』(現在のX Japan)が大好きで
他のバンドにはない強烈な個性

そのルックスと音楽は僕を虜にした。

その中でもベースをしていた僕にとって
ベーシストの『TAIJI』は強烈にカッコよかった。

それまでのベーシスト像を覆す
ルックスとテクニックとパフォーマンス

その全てが憧れだった。
もうそれ以外見えなかった

彼らの掲載されている雑誌はすべて買ったし
TVも録画した

髪の毛も伸ばした
ベースも『TAIJI』モデルは同じものを買った

レコーディングで使ったミュージックマン
と雑誌に記載されていたら

当然のようにミュージックマンも買った

もちろんアンプも衣装も

全部合わせたら外車が買えるくらいは
つかっている。

そのくらい没頭できたのは幸せかもしれない。

その『X』と『スパイスカリー』の
『唯一無二』感が

僕の音楽人生とスパイスカリー道を
リンクさせることになった。

『スパイスの不思議』

■「akiまたカレー行こうやー!」

僕を誘ってくれる人は昔から少ない。

だから貴重な機会は受け入れなければ
もう一生誘ってもらえないかもしれない

そして不思議なことに
あれだけ辛くて苦痛だったのにもかかわらず

もう一回行ってもいいかな
とも思えていた。

今考えるとそれがスパイスの不思議なのだ。

もう一度行ってみよう

また何分も並び、何分も待ち
そして食べ始めた

ん?辛い!
でも前回より大丈夫だ!

イケる!いけるぞ!
この暗さ!この香り!このスパイス感!

これがスパイスカリーというものかー!

この経験が
後の人生に大きな影響を与えるとは

プロミュージシャンを目指す僕は
想像もできなかった。