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『無料という呪縛』

■そのライブハウスではもう
ベース教室のようなものも始めていました。

周りのバンドの子たちが教えてほしいという
テクニックブームが到来していたのです。

その時はベース教室といえども
月謝は取らずにボランティア的にやっていました。

無料であっても一生懸命プリントを作り、
時間をかけて入念にレクチャーしました

でもそれがいけなかったのでしょう

生徒さんは「バイトが休めない。」とか
「体調が…。」とか言い始め、休みがちに。

今であればわかるのですが
結局、無料のものには価値がないのです。

タダで教えてもらうのは
「面倒くさい」に負けてしまうのです。

これは人生で大きな学びでした。
教えてもらったのは僕の方だったのです。

『続ける意味』

■音楽専門学校に入学して
やっとスパイスカリーと出会うのですが

もちろん夢は音楽でプロになること。

そんな学校で知り合った友人・先輩・恩師
そんな方々が後の僕の人生を変えてゆきます。

当時の生活は
高2から始めた居酒屋のバイトと

バンド活動がほとんどで
それ以外の記憶がもうあいまいです。

音楽専門学校を卒業後も
大きくは変わらない生活をしていました

フリーターしながらメジャーデビューを目指す
という王道スタイルをとり

ミュージシャン(自称)を続けました。

そんな中、近所のライブハウスの店長の
『K』さんに出会い、可愛がってもらいました。

そのライブハウスには毎日通い
そこでの出没率100%でした。

毎日麻雀やって朝帰り
本当に毎日でした。

僕の性格なのでしょうか?
高校も専門学校もライブハウスも無欠席。

プライベートでも
『K』さんと遊んでもらいました。

そんなミュージシャンたちが集まる中で
僕は人脈や彼女も作り

不思議なことに何でも続けていれば
楽器も上手くもなるし、良い曲もできる

バンドも軌道に乗り始め
LIVEでのお客様も増えるようになっていました。

ただ遊ぶことでも
ずっと続ければ力になることを知りました。

『進路』

■結局僕は彼らとは違う高校に進み
バレーボール部に入りました。

いや、下手でしたけど
声を出していたので副キャプテンに

いや、下手でしたけど
なんか三年間頑張りましたよ。

本当に大変な部活でしたけど
三年間無遅刻無欠席(役満)でした。

そんな経験も今の仕事に
いきているのだと思います。

身体が資本で休めないし
なにくそ!っていう部分も

続けることの大切さを学びました。
いや、本当に下手でしたけどね。

高校卒業後の事は
あまり真剣に考えていませんでした。

就職も嫌だし
勉強嫌いなので大学なんて…。

じゃあ専門学校かな?
やりたいこと?

うーん…じゃあ音楽でいいや。
みたいな。

でも高校時代には音楽も
ほとんどやってないし大丈夫かな?

今考えたら母親に申し訳ない
ほぼ母子家庭同然で

必死でお金を工面してくれた母親には
今は感謝しかありませんが

その当時はただの親不孝
今も母には親不孝ばかり。

本当にごめんなさい。

『始まりはいつもそう』

■高校生になってアルバイトも
『U』君と一緒に面接を受けました。

近所のファミレスでした。

僕は接客に憧れてホール希望だったのですが

初出勤日に用意されていたのは
厨房の服と独特のあの長い帽子でした。

またこの経験も
将来の仕事につなっがっていくことは

その時はまだ知りません。

あ、ちなみに
『U』君と『K』ちゃんは付き合っていました。

その経験は必要なかったと思います。
どうやら僕の第一希望は通らない体質のようです。

『思ってたのと違う』

■もともと僕は音楽に興味はありませんでした。

中学二年生の時に仲良かった
友達『U』君がいて

そして僕が一方的に
好きだった女の子『K』ちゃんがいて

※浅野温子をショートカットにした感じ
伝わりにくい…。

『U』君が急に「バンドやろうぜ!」
(そんな雑誌があった)

と言いだしたんです。
『K』ちゃん「私もやりたーい!」

音楽に全く興味もないし
ギターとベースの区別も知らない僕も

その状況でバンドをやらないという
選択肢はありませんでした。

『U』君「俺はギターでakiはベースな。」
『aki』「ベースってどんな楽器?」

『U』君「ギターみたいなやつ。」

ということでお年玉を握りしめて

高槻『グリーンプラザ』の『ロックイン』という
楽器屋さんで試奏もせずに初心者セットを購入。

そしてみんなで音出し

『ベース』「ボンボンボン…。」
『aki』「思ってたのとちがう…。ギターと変えて!」

『U』君「もう無理。」
『K』ちゃん「私ベースの音好きやで。」

こんなやり取りで自分の将来の仕事が決まるとは
夢にも思いませんでした。