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『愉快な生徒たち』

■もちろん年頃の生徒さんたちを
相手にしているので

生意気な子や、言うことを聞かない子
テンションの低い子や、わがままな子

色々いますが最終的にはほとんどが
素直で良い子ばかりでした。

音楽を教えるに当たって
僕自身もいろいろ勉強しました

人生で一番練習もしたし
失敗もしたし、悔しい思いもしたし

音楽をやめようとも思いました

でもそうやって苦労した分
生徒さんたちの頑張りが返ってくると嬉しくなり

また明日も頑張れる

結局、教えられたのは
僕のほうが多かったと思います。

そんな元生徒さん達のなかには

売れっ子ミュージシャンや

若くして大きな会社を立ち上げ
大きな富を築いた子や

クラブのオーナーや
漫画家や子沢山etc

先生より出世しちゃってる子がいっぱいで
僕も負けてられません。

※現在のところまだ負けています。

『樋口宗孝』

■その当時一番お世話になったのは
『LOUDNESS』のドラマー

『樋口宗孝』さんでした。

僕は本当にヘヴィーな音楽が好きで
『LOUDNESS』が大好き

その時は仕事が一緒だというだけで
夢のようでした。

樋口さんの入り時間には
当時、僕がハマっていた

『ヘルシア緑茶』を差し入れたら
すごく喜んでくれたのを覚えています。

そんな些細なことで僕を覚えてくださって
ヘルシア君!あのお茶美味いなあ!

僕はヘルシア君になりました。

その後も一緒になる度に
行きつけの飲み屋さんに連れて行ってもらったり

樋口さんが酔っ払って
割りばしでグラスや器をドラムにして遊んだり

僕が苦手な納豆を食べさせられたり
どれも素晴らしい思い出です。

樋口さんはめちゃめちゃ楽しく
同じ目線で話してくれて

カッコよく優しい人でした。
本当に大好きな兄貴のようでした。

『憧れ』

■僕の面接をしてくれたのがあの

アニメ『聖闘士星矢』の主題歌
「ペガサス幻想」で有名な

『MAKE-UP』のギタリスト
『松澤 浩明』氏だったことは

すぐにはわかりませんでした。

後に僕がその専門学校の講師になれたのは
『松澤 浩明』氏が推してくれたと聞きました。

そして僕は人生において
思っていた形ではありませんでしたが

プロミュージシャンとしての
第一歩を踏み出すことができました。

その仕事が今にもつながっているし
これを続けることによって

親孝行にかえようと
思っていたのかもしれない

その学校ではいろんな方にお会いしました

横関敦 氏
石原“SHARA”愼一郎 氏
山下昌良 氏
高崎晃 氏
樋口宗孝 氏etc

『失っても入ってくる』

■僕のバンドはCDもそこそこ売れていたし
お客様も入るようになっていたので

今考えればバンドマンとしての
ピークを迎えていたのが

この時だったのかもしれません。

しかしそれは長続きはしませんでした。

間もなくしてバンドは解散
彼女も離れていきました。

そのほか同時に
いろんなものを失ったショックで

体調も崩してしまい
精神的にも不安定になりました。

でもそこが人生のターニングポイントでした。

ライブハウスで知り合った女の子から

「私の行ってた専門学校でベースの講師
探してるみたいだけど紹介しようか?」

それは願ってもないチャンスでした。

専門学校の講師となれば
平日は全て学校で教えることになります。

今までのようにバリバリでバンド活動していたら
できなかったかもしれません。

このタイミングでしかありえなかったこのご縁を
運命というのでしょうか。

『無料という呪縛』

■そのライブハウスではもう
ベース教室のようなものも始めていました。

周りのバンドの子たちが教えてほしいという
テクニックブームが到来していたのです。

その時はベース教室といえども
月謝は取らずにボランティア的にやっていました。

無料であっても一生懸命プリントを作り、
時間をかけて入念にレクチャーしました

でもそれがいけなかったのでしょう

生徒さんは「バイトが休めない。」とか
「体調が…。」とか言い始め、休みがちに。

今であればわかるのですが
結局、無料のものには価値がないのです。

タダで教えてもらうのは
「面倒くさい」に負けてしまうのです。

これは人生で大きな学びでした。
教えてもらったのは僕の方だったのです。